UTMBのような長距離トレイルランニングでパフォーマンスを高めるには、走行距離を増やすだけでは不十分です。長い登りに対応する持久力、テクニカルな下りを走る技術、筋力、メンタル、そして自分の弱点を正しく把握することが重要になります。
トップトレイルランナーのIda-Sophie Hegemannも、以前は自分自身でトレーニングを組み立てながら成長してきました。
しかし、さらに高いレベルを目指す中で、彼女はひとつの疑問を抱くようになります。
「自分でトレーニングスケジュールを組んでいる限り、本当にコンフォートゾーンの外へ踏み出していると言えるのか。」
そこでIdaは、セルフコーチングから離れ、コーチ、メンタルコーチ、プロフェッショナルなマネジメントを含む新しい体制へ移行しました。
今回のアスリートストーリーでは、UTMBに向けてIdaがトレイルランニングのトレーニングをどう変えたのか、苦手だった下り、登り、筋力、メンタル、そしてデータ活用を中心に紹介します。

なぜセルフコーチングを変えた?
Ida-Sophie Hegemannは、北ドイツの平坦な地域でトラックランニングを始め、その後インスブルックへ移住。現在は山岳トレイルを中心に競技生活を送っています。
これまでのキャリアでは、自分自身でトレーニングを組み立てながら成長してきました。
自分の身体を知り、自分でスケジュールを決め、自分の感覚を頼りにトレーニングする。
その方法で大きな進歩を遂げてきたからこそ、セルフコーチングには自信もありました。
しかし、トップレベルでさらにパフォーマンスを伸ばそうとすると、別の問題も見えてきます。
自分でメニューを決めていると、無意識に得意なことや、安心してこなせる範囲を選んでしまう可能性があることです。
Idaはそこに気づきました。
本当に変わりたいなら、これまでのやり方を守るだけではなく、自分では選ばない刺激も受け入れる必要がある。
それが、新しいトレーニング体制へ移行した理由でした。
自分だけでは選ばないトレーニングに挑む
現在のIdaを支えるのは、ひとりのコーチだけではありません。
- トレーニングコーチ
- メンタルコーチ
- プロフェッショナルなマネジメント
を含むチームでUTMBへの準備を進めています。
大きな変化は、単純にトレーニング量を増やしたことではありません。
「自分なら選ばない負荷」を、計画的に取り入れるようになったこと。
これまで避けがちだった弱点に正面から向き合い、苦手だからこそ繰り返しトレーニングする。
Idaにとって、この1年は「快適な範囲から出ること」を受け入れる時間になりました。
ただし、コンフォートゾーンを出ることは、毎回限界まで追い込むことではありません。
目的は疲れることではなく、UTMBのような長距離山岳レースで必要な能力を、計画的に伸ばしていくことです。
同じSuuntoアスリートのYao Miaoも、感覚中心だったトレーニングから、心拍、筋力、登り、下り、回復を組み合わせる体系的なアプローチへ移行しています。
▶︎ トレイルランニングで速くなるには?Yao Miaoに学ぶ心拍・筋力・登り・下りのトレーニング

最大の弱点だったテクニカルな下り
Idaが特に重点的に取り組んでいるのが、テクニカルな下りです。
トレイルランニングでは登りに注目が集まりがちですが、レース全体のパフォーマンスを考えると、下りも重要です。
岩、木の根、段差、不安定な路面。
こうしたテクニカルな下りでは、平地で速く走れる能力だけでは対応できません。
必要になるのは、
- 足を置く場所を瞬時に判断する力
- 身体のバランスを維持する力
- 下りのスピードへの慣れ
- 着地の衝撃に耐える脚力
- 恐怖心をコントロールする自信
です。
Idaにとってテクニカルな下りは、これまで明確な弱点のひとつでした。
だからこそ、今回のトレーニングでは避けるのではなく、自信を持って走れるようになるまで繰り返し練習することを選びました。
これは一般のトレイルランナーにも当てはまります。
レースで苦手な区間があるなら、そこをできるだけ避けるのではなく、安全な環境で少しずつ経験を重ねることが上達につながります。
登坂力を高める急坂トレーニング
UTMBのような山岳レースでは、下りと同時に長い登りへの対応力も必要です。
Idaは、自宅の近くにある急勾配のロードを使った反復トレーニングにも取り組んでいます。
登りでは勾配が大きくなるほど、平地のランニングとは異なる筋力と持久力が求められます。
重要なのは、毎回坂を全力で駆け上がることではありません。
長い登りを一定の強度で進むトレーニング。
短い急坂で高い出力を出すトレーニング。
パワーハイクを使うトレーニング。
それぞれ目的が異なります。
UTMBの登りを速くするためには、「登りを頑張る」だけでなく、有酸素持久力、筋力、フォームを組み合わせて鍛えることが重要です。
▶︎ トレランの登りを速くするには?持久力・筋力・テクニックを鍛える方法
ウェイトベストで筋力と登りを鍛える
Idaの新しいトレーニングで特徴的なのが、ウェイトベストを使ったワークアウトです。
身体に追加の負荷をかけながら動くことで、登りで必要になる筋力や身体を支える力へ刺激を入れます。
長い山岳レースでは、単に心肺能力が高ければ最後まで走れるわけではありません。
何時間も登りと下りを繰り返す中で、脚や体幹も疲労していきます。
特に下りでは、一歩ごとに身体を減速させるための筋力が必要になります。
そのためIdaの準備では、走行距離だけではなく、山で長時間動き続けられる身体そのものを作ることも重視されています。
ただし、ウェイトベストは身体への負荷も大きいため、すべてのランナーがそのまま真似する必要はありません。
一般的には、スクワット、ランジ、ステップアップ、カーフレイズ、体幹トレーニングなどから始め、現在の走力やトレーニング歴に合わせて負荷を調整することが大切です。
メンタルトレーニングもUTMBへの準備
Idaの新しいチームには、メンタルコーチも加わっています。
長距離のトレイルランニングでは、身体だけでなく精神的な波とも向き合うことになります。
思うように走れない。
苦手な下りが続く。
疲労でペースが落ちる。
順位が変化する。
予定していたレース展開が崩れる。
こうした状況でも、自分の走りへ意識を戻すことが重要です。
Idaがメンタル面も含めたチーム体制を作ったのは、UTMBへの準備を身体だけの問題として考えていないからです。
ウルトラランナーCourtney Dauwalterも、レース中の苦しい時間を「Pain Cave」と表現し、その状況との向き合い方を磨いてきました。
▶︎ 「Pain Cave」とは?コートニー・ドウォルターに学ぶ、限界で前に進むメンタル
Suuntoのデータで成長をどう確認する?
トレーニング方法を大きく変えたとき、「本当に以前より成長しているのか」を感覚だけで判断するのは簡単ではありません。
そこでIdaが活用しているのが、Suuntoに記録された過去のトレーニングデータです。
現在のセッションを過去数年と比較することで、
- 獲得標高がどれくらい増えたか
- 同じようなトレーニングでスピードがどう変化したか
- トレーニング量がどう変化したか
- 長期的にどの程度進歩しているか
を振り返ることができます。
例えばトレイルランニングでは、「今月200km走った」という距離だけでは負荷を理解しにくい場合があります。
平坦な200kmと、何千mもの累積標高を含む200kmでは、身体にかかる負荷が大きく異なるからです。
そのため、距離だけでなく、運動時間、獲得標高、心拍、トレーニング負荷などを合わせて見ることが重要になります。
データは「もっとトレーニングしろ」と指示するものではありません。
自分が積み重ねてきたものを客観的に確認し、次の判断につなげるための材料です。
トレイルレースや日々のトレーニングで、心拍、トレーニング負荷、ルートナビゲーション、オフラインマップなどを活用したいランナーには、Suunto Race 2があります。
UTMBで試されるのは「準備の深さ」
UTMBのコースそのものが、Idaのために変わるわけではありません。
待っているのは、これまでと同じ山です。
長い登り。
テクニカルな下り。
長時間動き続ける疲労。
そして、自分自身との戦い。
変わったのは、そのコースへ向かうIdaの準備です。
セルフコーチングから、プロフェッショナルなチームへ。
得意なトレーニングだけを続けることから、弱点に正面から向き合うことへ。
苦手だった下りから逃げるのではなく、自信を持てるまで練習する。
トレーニングした「量」だけではなく、過去のデータと比較して「何が変わったのか」を確認する。
IdaがUTMBへ持っていく最大の変化は、単純な走力だけではなく「準備の深さ」です。

同じシャモニーへ向かうSuuntoアスリートでも、その課題は一人ひとり違います。
Toni McCannは、勝利とDNFを経験した後、「誰かの期待ではなく、自分のために走る」ことを選びました。
Idaは、自分だけでトレーニングを管理することから離れ、他者の力を借りながら、自分では踏み込まなかった領域へ挑戦しています。
▶︎ Toni McCann、再びUTMB CCCへ|シャモニーで見つめ直した「走る理由」
アプローチは違っても、共通しているのは、これまでと同じ自分のままスタートラインに立とうとしていないことです。
コンフォートゾーンを出るとは、ただ苦しむことではない
「コンフォートゾーンを出る」というと、厳しいトレーニングや限界まで追い込むことを想像するかもしれません。
しかしIdaの変化を見ると、それだけではないことが分かります。
人にトレーニングを任せること。
自分の弱点を認めること。
苦手な下りを練習すること。
メンタルコーチの助けを借りること。
数字を使って、自分の現在地を客観的に見ること。
それまでのやり方がうまくいっていたとしても、さらに成長したいなら、変化を受け入れる必要があることもあります。
成長するために必要なのは、常に「もっと頑張る」ことではなく、「今までと違うことを試す」勇気なのかもしれません。