ウルトラマラソンやトレイルランでは、脚が重くなり、「もう止まりたい」と思う瞬間があります。世界のウルトラレースで活躍するコートニー・ドウォルター(Courtney Dauwalter)は、その苦しい状態を「Pain Cave(ペイン・ケイブ)」と呼び、避けるのではなく、自分の限界を探る場所として向き合ってきました。
しかし、彼女の強さは単なる「我慢強さ」ではありません。
疲れているときには過去数日のトレーニング量や累積標高、最後に休んだ日を振り返り、なぜ疲れているのかを整理する。
メンタルで前へ進むことと、データを見て冷静に調整すること。
その両方を使い分けている点こそ、コートニーのウルトラランニングを理解するうえで重要です。
この記事では、ウルトラマラソンやトレイルランで苦しい場面と向き合うヒントとして、コートニー・ドウォルターの「Pain Cave」という考え方と、トレーニング・疲労・回復への向き合い方を紹介します。
コートニー・ドウォルターとは?
コートニー・ドウォルターは、アメリカ・コロラド州を拠点に活動するウルトラランナーです。
ロッキー山脈でトレーニングを重ね、100マイルをはじめとする長距離レースで世界トップクラスの実績を残してきました。
元記事が公開された当時も、2019年のUTMB(Ultra-Trail du Mont-Blanc)優勝、Western States Endurance Run 100マイル優勝など、ウルトラランニング界を代表する選手として紹介されています。
さらにBig Backyard’s Ultraでは、6.7kmほどの周回コースを繰り返す形式で67周、449.30kmを走破しました。
元科学教師という経歴を持つ彼女ですが、トレーニングに対しては意外なほどシンプルです。
「走るのが好きだから走る」。
そして、何時間も自分の足だけで前へ進み続けるという行為そのものに、挑戦する面白さを感じています。

© Philipp Reiter
「Pain Cave」とは?
コートニーを語るうえで、象徴的なのが「Pain Cave(ペイン・ケイブ)」という言葉です。
直訳すれば「痛みの洞窟」。
長時間のウルトラマラソンで疲労が積み重なり、「もう無理かもしれない」と感じるような苦しい領域を、彼女はこう表現しています。
多くの人ならできるだけ避けたいと思う場所です。
ところがコートニーは、その入口を探すこと自体がウルトラランニングの魅力のひとつだと考えています。
彼女にとってPain Caveは、怖くて入れない場所ではありません。
「自分はここからどこまで進めるのか」を確かめる場所なのです。
なぜ苦しさを避けないのか
コートニーは、苦しい状態の中にいることにある種の居心地のよさを感じると話しています。
これは「苦しむこと自体が好き」という意味ではありません。
身体が疲れ、気持ちが弱くなったときに、自分の頭がどのように反応するのか。
「止まりたい」という考えが出てきたあとでも、本当にもう進めないのか。
もう一歩、一分、次のエイドまでなら進めるのか。
そうやって自分の身体と心の境界線を観察することに、彼女は興味を持っています。
ウルトラマラソンでは、何時間にもわたって状況が変わり続けます。
調子が良い時間もあれば、急に脚が動かなくなる時間もあります。
補給を取れば回復することもあれば、数十分耐えれば気分が変わることもあります。
「今つらい」という感覚が、そのまま「この先もずっとつらい」という意味ではありません。
そのことを経験から知っているのが、トップウルトラランナーの強さのひとつです。
ウルトラランニングで問われる「心の使い方」
100km、100マイル、あるいはそれ以上の距離を走るウルトラマラソンでは、身体能力だけですべてを説明することはできません。
何時間も動き続ければ、誰でも疲れます。
そこで違いが出るのが、疲労や不快感に対してどう反応するかです。
苦しくなった瞬間に「もう終わりだ」と考えるのか。
それとも、「今は苦しい。でも次のエイドまでなら進める」と考えるのか。
残り100kmを考えて圧倒されるのではなく、次の数分、次の登り、次の補給へ意識を戻す。
コートニーがPain Caveという言葉で表現しているのは、苦しさを消す技術ではなく、苦しさがある状態でも行動を続けるための心の使い方とも言えます。
より具体的なメンタルの使い方については、別の記事で6つの方法に整理しています。
▶︎ ウルトラトレイルで心が折れそうなときに|コートニー・ドウォルターの6つのメンタル術

© Philipp Reiter
メンタルだけではなく、データも見る
コートニーの「Pain Cave」だけを聞くと、すべてを精神力で乗り切るアスリートのように感じるかもしれません。
しかし、元記事で紹介されているトレーニングへの向き合い方を見ると、実際はもっと冷静です。
彼女は日々のランニングをSuuntoウォッチで記録し、疲労を感じたときには過去のトレーニングを振り返ります。
「なぜこんなに疲れているのだろう?」
そう感じたときに、感覚だけで判断するのではなく、最近どれだけ走ったのか、どれだけ登ったのか、最後に休んだのはいつだったのかを確認するのです。
頑張れるかどうかを考える前に、なぜ疲れているのかを理解する。
これはトップアスリートだけでなく、普段トレーニングを続けるランナーにも役立つ考え方です。
累積標高を見ると疲労の理由がわかることもある
コートニーが例として挙げているのが、累積標高です。
ある週に非常に疲れていたとき、過去5日間のトレーニングを振り返る。
すると、「これだけ登っているのだから疲れて当然だ」と気づくことがあります。
トレイルランニングでは、走行距離だけでは負荷を正確につかみにくいことがあります。
同じ20kmでも、平坦なロードと累積標高2,000mの山岳コースでは、身体への負担は大きく異なります。
距離だけではなく、累積標高、運動時間、強度、直近のトレーニング量を合わせて振り返ることで、疲労の理由が見えてくることがあります。
感覚として「今日は調子が悪い」と思っていたものが、実際には数日間の負荷が積み重なった自然な疲労だった、ということもあるのです。
休養日を振り返ることもトレーニング
コートニーがウォッチの記録で確認するもうひとつのポイントが、最後に休んだ日です。
トレーニングを続けていると、「今日は走った」「今日は何km走った」という記録には目が向きやすい一方で、「いつ休んだか」は忘れがちです。
しかし、身体がトレーニングへ適応するためには回復する時間も必要です。
強度の高い練習をした翌日にさらに負荷を重ねる。
ロング走をした翌週にも高い走行距離を続ける。
それが積み重なれば、いつか「なぜかわからないけれど身体が重い」という状態になることがあります。
休むかどうかを気分だけで決めず、これまで積み上げた負荷を振り返って判断する。
それも長くトレーニングを続けるためのスキルです。
▶︎ HRV(心拍変動)とは?正常値の見方と回復・トレーニングへの活かし方
「限界を超える」と「危険を無視する」は違う
ここで大切なのは、Pain Caveを「痛みがあっても絶対に走り続ける考え方」として受け取らないことです。
ウルトラランニングでは、長時間動き続けることによる疲労や不快感は避けられません。
一方で、けがにつながる鋭い痛み、意識の混乱、めまい、熱中症や低体温症が疑われる症状などは別です。
そうした兆候がある場合は、メンタルで押し切るのではなく、安全を優先する必要があります。
「まだ進める不快感」と「進むべきではない異常」を区別すること。
本当の意味で自分の限界を知るためには、前へ進む勇気だけではなく、止まる判断も必要です。
Pain Caveの考え方を普段のランニングに活かす
100マイルレースに出なくても、Pain Caveの考え方は普段のランニングに応用できます。
1. 苦しくなった瞬間に結論を出さない
「今日はダメだ」と感じても、まずペース、呼吸、補給、暑さ、疲労などを確認します。
原因をひとつずつ整理すると、少しペースを落とすだけで立て直せることがあります。
2. ゴールではなく、次の小さな目標を見る
ロング走で残り20kmを考えると長く感じても、「次の5分」「次の給水」「次の登りまで」と区切れば、目の前の行動へ集中できます。
3. トレーニング記録を振り返る
疲れている日は、精神力が足りないと決めつける前に、直近の運動量を確認します。
走行距離、累積標高、運動時間、強度、休養日を見ることで、疲労に理由が見つかるかもしれません。
4. データと感覚のどちらか一方に頼らない
数字が良くても身体に明らかな異常があれば、身体のサインを優先します。
逆に「なんとなく疲れている」と感じたときに、データを振り返ることでその理由を整理できることもあります。
身体の感覚とデータを組み合わせて考えることが、長期的なトレーニング管理につながります。
長距離トレーニングを記録して振り返る
コートニーが元記事で使っていたのは当時のSuunto 9でしたが、現在のSuuntoでは日々のトレーニング記録、運動時間、標高、心拍、トレーニング負荷などを継続的に振り返ることができます。
Suunto Race 2は、日々のトレーニングから長距離レースまで、トレーニングデータやルート情報を手元で確認したいランナー向けのパフォーマンスウォッチです。
また、対応するウォッチと心拍ベルトを使えば、Suunto ZoneSenseで運動中の身体の反応からトレーニング強度を確認することもできます。
ウォッチが「今日は走るべき」「今日は休むべき」とすべてを決めてくれるわけではありません。
記録を残し、自分の感覚と照らし合わせ、次に何を調整するかを考える。
コートニーが行っているのも、まさにその振り返りです。
まとめ|強さとは、苦しさを感じないことではない
コートニー・ドウォルターは、ウルトラマラソンで訪れる極端に苦しい状態を「Pain Cave」と呼びます。
そして、その入口を恐れるのではなく、自分に何ができるのかを確かめる場所として向き合っています。
しかし、彼女の強さは精神力だけではありません。
疲れていればトレーニング記録を振り返る。
どれだけ登ったのかを見る。
最後に休んだ日を確認する。
そして必要なら、次のトレーニングを調整する。
限界まで頑張ることと、自分の状態を冷静に理解すること。
一見すると正反対に見えるこの二つを両立しているからこそ、長いウルトラレースでも前へ進み続けられるのかもしれません。
次にロング走やトレイルランで「もう無理かもしれない」と感じたときは、すぐに結論を出す前に、自分へ問いかけてみてください。
これは乗り越えられる一時的な苦しさなのか。
補給やペースを調整すれば変わるのか。
それとも、身体が本当に止まるよう伝えているのか。
自分のPain Caveを知ることは、ただ我慢強くなることではありません。
自分の身体と心を、これまでより深く理解することなのです。
Images © Philipp Reiter